3人変われば、お店の風景が変わる

 地球ちきゅうには、地球温暖化ちきゅうおんだんか海洋汚染かいようおせんなどたくさんの問題もんだいがありますが、わたしたちはとても大きな問題もんだいだとかんじてしまいます。1人1人が行動こうどうすることに、たして本当に意味いみがあるのでしょうか?

まずは小さい集団しゅうだんから

 たしかに、地球ちきゅう問題もんだい解決かいけつしようと思っても、自分1人が頑張がんばっても何もわらないと思ってしまうかもしれません。しかし、何か問題もんだい解決かいけつしようとするときには、まずは小さい集団しゅうだんで考えることが必要ひつようです。自分1人の少しの力でも、どの集団しゅうだんなら変えられるか、考えてみましょう。はじめは友達ともだち家族かぞくなど自分のすぐ近くの人たちからでいいのです。

 自分がえられると思う集団しゅうだんめたら、まずはその集団しゅうだんの5%の人がわることを目指めざします。このとき、「みんなもこうしてね」と無理むりしつける必要ひつようはありません。「わたしはこうしているよ」とつたえて、その集団しゅうだんの5%の人がわってくれればいいのです。すると、ほかの人たちが「なんだなんだ」と注目ちゅうもくしてきます。30%くらいの人がわると「うちもやらないと」となって、50%をえれば、自然しぜんとどんどん広まっていきます。

 社会をえるためには、まず自分の行動こうどうえなければなりません。そのときも同じで、5%からでいいのです。20日のうちの1日だけえてみましょう。まずは5%、それができたら10%、その次は20%、40%…と、どんどんわっていきます。まずは0%から5%というのが大切たいせつなのです。

「三人、市虎しこす」

 市虎しこというのは、まちに出たとらのことです。みなさんは「まちとらが出た」と言われても、「まちとらなんかいるはずない、そんなのうそだ」としんじないと思います。ところが、3人から言われるとどうでしょうか?「本当にまちとらが出たのかもしれない」と思ってしまいませんか?

 このように、「まち(市)にとらが出た」ということが本当ではなくても、3人が言えばみんなしんじてしまうという意味いみのことわざが「三人、市虎しこす」です。

 たとえば、みなさんがお店でもの注文ちゅうもんしたときに、プラスチックのストローがついていたとします。そのときに、「紙のストローはありますか?」と3人が聞いてみるだけで、お店がわるかもしれないのです。お店の人は、1人目に「紙のストローはありますか?」と聞かれれば、「なんだこの人」と思うかもしれません。しかし、2人目に聞かれると「ん?」となり、3人目に聞かれると「調しらべてみよう」となるのです。

 むかし本屋ほんやでアルバイトをしていたという記者きしゃさんも、店長に「3人から『この本ありますか?』と聞かれたら、すぐにその本を注文して、表紙ひょうしを見せてくようにしろ」と言われていたそうです。つまり、本屋ほんやに自分の読みたい本がかれていなかったら、だれかにおねがいして、3人が「この本ありますか?」と聞けばよいのです。そうすれば、本屋ほんやに新しい本がならび、そこで本屋ほんや風景ふうけいわるのです。小さく見える行動こうどうだけど、それによってぐっとわるというのが、行動こうどうこすときの基本きほんです。

「たった少しの力だけど、まったく力がないわけじゃない」

 わたしたちにも、社会をえていくことはできます。だから、そこにかかわる人たちの行動こうどう大事だいじなのです。おきゃくさんがわればお店がわります。今は大手スーパーの社長も、環境かんきょうや社会問題もんだい解決かいけつにつながる商品しょうひんを買うという行動こうどう(それをエシカル消費しょうひと言います)について考えている方が多いので、それを後押あとおしできるかどうかはそこにかかわる人たちの問題もんだいです。かかわる人たちがわれば、お店もわります。まさに「たった少しの力だけど、まったく力がないわけじゃない」のです。

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