世界では、気候変動は重大な問題の1つだと考えられています。最近でも、異常気象によってわたしたちの生活にも影響が出ていて、放っておくと人類が生きられなくなる可能性もあります。ところが、 この気候変動よりも「危険性が高い」と考えられている地球環境問題があります。それは一体どんな問題か、みなさんは知っているでしょうか?
その1つが、「リンの地球化学的循環」です。循環というのはめぐることで、簡単に言えば、自然の営みの中でくり返されてきたリンという物質の循環がくずれ、取り返しがつかなくなってきているという問題です。
そもそもリンというのは、わたしたちが生きていく上で必要不可欠な物質です。例えば、身体を支える骨は、リンとカルシウムが結びついたリン酸カルシウムでできています。他にも、わたしたちの身体をつくる細胞などにはリン酸がふくまれています。人間をはじめとした動植物の活動のあらゆる面に関わるため、「いのちの元素」とも呼ばれるほど重要な物質なのです。
また、産業面でも重要な原材料の1つです。農業では肥料や飼料(飼育している動物にあげるえさ)に使われ、わたしたちの食生活はリンがなくては成り立ちません。工業でも多く利用されていて、電気自動車向けの電池や太陽光パネルなどの製造にも欠かせないものになっています。意外なところでは、新型コロナのワクチンや抗ウイルス薬、PCR検査などにも使われているのです。
リンの海洋流出が続くと、生物の大量絶滅も
そのリンをめぐって何が起きているのでしょうか。実は、主な問題は2つあるといいます。
1つ目の問題が、「リンの海洋流出」です。リンが肥料などにふくまれることは、先ほどお話しました。それが海に流れこむと、表層(海の表面)にいる植物性プランクトンなどの活動が活発になります。すると、大量の微生物に海中の酸素が使われてしまい、他の生物が生きていけない環境になってしまいます。日本近海では、高度経済成長期にくり返し赤潮が発生し、魚が大量死しました。これも工場や農場からリンが流れ出たことが1つの要因とされ、工場から出る廃水の規制が強化されるきっかけとなりました。
赤潮:海水中の植物性プランクトンなどの微生物が異常に増えることで、海の色が変わる現象のこと。
さらに、これが地球規模で起きると、生物の大量絶滅が起こってしまいます。この現象は「海洋無酸素事変」と呼ばれ、約2億年前から1億4550万年前のジュラ紀などでも発生していたことが分かっています。海中の酸素がなくなると、生物の死がいが分解されないまま積み重なって特殊な地層ができるので、昔にも起こったと分かったそうです。当時の地球にはまだ人類はいませんでしたが、気温の上昇や火山活動の活発化などによって起こったのではないかと言われています。
どちらにしても、陸から海へ流れ出るリンが一定の量をこえると、その後1000年以内に海洋無酸素事変が起こるかもしれないと言われています。ところが、今はその2倍のリンが海に流れ出てしまっているのです。これが気候変動よりも「危険性が高い」と考えられる理由です。海と同じように、湖などでも基準の2倍以上のリンが流れ出てしまっているといいます。
なくなるかもしれないリン鉱石、輸入している日本は?
とは言っても、基準の量をこえても大量絶滅が起きるのは1000年以内です。そう考えると、地球温暖化よりももっと先の話に感じてしまいます。ところが、もっと身近に別の問題が起きつつあるといいます。実は、リン鉱石がつきてなくなってしてしまうかもしれないのです。これが、リンをめぐる2つ目の問題です。
わたしたちが農業や工業で使っているリンのほとんどは、地下資源であるリン鉱石から手に入れています。自然界でリン鉱石ができるまでには、数千万年という長い年月が必要です。もし、人間がリン鉱石をって、利用した後で海に流し続ければ、やがてなくなってしまいます。
リンが少ない状態であるということは、世界も気づいています。世界で2番目にリンを消費しているアメリカは、1995年にリン鉱石の輸出をやめて、輸入するようになりました。自分の国の資源を守ることが目的です。こうした動きは、リン鉱石がとれる国であるモロッコなどにも広がりつつあります。
実は、この流れによって大きな影響を受ける国の1つが日本なのです。日本は世界で8番目にリンを消費している国にもかかわらず、日本ではリン鉱石があまりとれません。昔は主にアメリカから輸入していましたが、アメリカが輸出しなくなったことから、現在は中国や南アフリカなどからの輸入に変えています。しかし、こうした国もいつアメリカのように輸出をやめてしまうか分かりません。
回収・再資源化でリンの自給も
人間の活動に欠かせないリンを、これからどう確保していけばよいのでしょうか。専門家によると、「日本に地下リン資源はないが、地上リン資源はたくさんある。自給できる可能性さえある」といいます。
いったいどういうことなのでしょうか。日本では、家畜のふんにょう(リンが含まれる量は年間約6.6万トン)や食品廃棄物(同約8.5万トン)については、大半がリサイクルされています。しかし、鉄を作るときにできる鉄鋼スラグ(同約11.4万トン)や農業廃棄物(同約2.9万トン)、下水をきれいにするときに出るどろ(同約4.2万トン)などは、利用せずに捨てられています。
この鉄鋼スラグなどにふくまれているリンを回収し、再資源化することができれば、年間約20万トンのリンが日本国内で手に入ります。この量は、日本が輸入しているリンの量である22.8万トンとほぼ同じくらいになるといいます。
その上、日本には世界的にも立派なリン回収の枠組みや再資源化技術もあります。2008年には、行政や企業のかべをこえてリンの回収・再利用に取り組む組織もできました。実は、2013年にヨーロッパで作られた組織も、日本を参考にして作られたといいます。
ドイツやスイス、オーストリアなどでは、下水をきれいにするときに出るどろからリンを必ず回収しなければいけなくなりました。リンの回収は下水処理場の仕事となり、回収にかかる費用は企業や市民が負担することになりました。
リン問題への関心を気候変動と同じように高めたい
一足早くリン再利用の仕組みを作り、ヨーロッパにも刺激を与えた日本。ところが、そんな日本では回収・再資源化が思うように進んでいないといいます。「今はまだ安い肥料を海外から買えるからしばらくはそれでいい、というようにすぐ目の前の損得で考えてしまう。それが取り組みをじゃましている」と専門家は言っています。この「危機はまだ先」という考え方こそが、リン問題が危険だと言われる1番大きな要因かもしれません。
そもそも、気候変動の危険性がそれほど高くないとされているのは、人類への影響が小さいからではありません。専門家は「世界が問題の深刻さを理解し、すでに対策を始めているからだろう」と考えています。逆に言えば、リン問題の危険性が高いと言われたのは、解決できないからではなく、深刻な問題なのに対応がおくれているからです。
いち早く危機からぬけ出すために最も重要なことは、危機の存在に気づくことだと言われています。しかし、そうした観点から見たとき、リンをめぐる問題が気候変動などよりも知られているとは言えません。海に囲まれた日本にとって、水産資源(わたしたちが食べる魚介類など)を守ることは重要な課題です。また、工業分野で原料を確保するという面でも、対策を急ぐ必要があります。まずは、リン問題への関心を気候変動と同じくらいに高めることから始める必要があるかもしれません。